「視覚障害者から見た社会の実態と問題点」分科会 議事録
司会:浅沼 →奥山さんの紹介。注意事項(ウェブ中継などはダメ)を最初に流す。 画面録画アナウンス。進行予定説明。質問すべて答えられないかもという注意しとく。 ・奥山さんの経歴パート 実家の話。小学2年生の時に平均台から落ちて網膜剥離を起こし、右を見ようとすると黒い三角形のようなものが見えるようになった→大学病院で検査。 全体的に黄色いような視界になった。即入院。医療技術が発展していなかった。網膜剥離:目のきょうまくに水分がたまって押し上げられる。 入院して2週間後に手術。ガスで抑えて接着させる方法など。しかし、回復しなかった。 県立の特別支援高等学校に転校。休んでいたので小学校は7年間行く。 盲学校に自宅の久留米から通っていた。母親や従業員が送り迎え。 高速使っても片道1時間かかる遠距離。 普通の小学校では運動音痴だったが、最初から見えない人のほうが、運動ができないと感じられた。人の動作を見てまねできない。 盲学校はほとんど全寮制に近く、自分は寮に入らなかった。幼稚園生のころから20年近く寮にいるひともいた。 盲学校は社会一般から隔絶されている場所だと感じた。仕方ない面もあるが、その時代は障害者を外に出さないという風潮があったため社会から隔離されていると思った。 小4になっても駄菓子屋で買いに行く、みたいなことしたことなかった人多い。 今みたいに点字ブロックもなく歩きづらかった。結構危ないことはあった。 中学校だと遊ぶようになった:福岡市。あんまり真面目じゃない人もいたーそういう人たちとも仲良くなっていろんな情報を仕入れた。 野球部と陸上部に入った。野球部の九州大会あり。盲学校の人たち交流。―外に出て無さそうな印象。アマチュア無線で会話―障害者を外に出す気ないのだなと感じられた。 筑波大学付属盲学校があり入ろうかと思ったが、野球の九州大会もありそれまではあんまり勉強してなかった→終わってから勉強して合格。 高校もあんまり開いた感じではなく、大学行くといった時もいい顔はされなかった。専攻科に行けと言われた。 最初アナウンサーになりたかった(視覚障害者も注目されてもらえるんじゃないか)→取材難しくあきらめた。 高校2年生の時に予備校→司法試験の存在知る 一般の人:予備校の教材もらって読めばわかる。盲人:予備校からは点字で翻訳されたものをも...